パンピーのパンピーによるパンピーのための法律

2020年12月15日

パンピーのパンピーによるパンピーのための法律を作りたい。どう考えても法律が足りなさすぎやしませんか?六法全書を見ると(見たことないけど)やたら細かく膨大な量の法律が書かれてある。だけど六法全書はいわばメジャーな法律が載っている簡易版みたいなもので、すべての法律が載っているわけじゃないんです。

 

かといってすべての法律を網羅してもおそらく穴だらけですよ。日々の生活で困ることとか無数にありますもん。例えば日常でのメジャーどこで言うと、トイレットペーパーの芯取り替えない奴というのは基本的にウンコの途中で紙が切れない限り取り替えることはない。これはもう性格だし治らない。「次の人で切れちゃうから新しいのに替えておく」なんて考えや気持ちなんてないわけです。面倒くさいんでしょう。案の定次の人で紙は切れるからそれこそ前の奴のケツを拭くがごとく新しいトイレットペーパーに替えて用を足す。

 

日本、いや世界、もとい人類はずっとこのスパイラルで回っているんです。ちょっとしたことだけど誰かが誰かの尻拭いをしている。これを許せるのはお人好しか短期間にトイレットペーパーの芯を取り替えなければいけない事態に見舞われていない人でしょうね。経験すればわかると思います。筆者は家と出先や職場などをひっくるめて1ヶ月間に10回ほど替えた経験があり、運とタイミングでしょうがすごく忙しい日々を送ったことがあります。

 

さすがにその時はキャパを超えましたよね。理不尽というやつです。そりゃあ「なんで自分ばっかりぃぃいい」となったし憤りを感じました。これは罪になりませんか?運が悪いで片付けられるんだとしたら、法律なんて半分くらい運の悪い人がピーピーうるさいからできたようなものです。救済措置がないとさすがに可哀想過ぎるから法律ってできるんでしょ?

 

あとあれですね。法律って可哀想な人がある一定数に達したら議案して審議して可決されると思います。知らないけど。法律って結局人が定めるものだから気分もあると思うんですよ、定める人の。つまり共感てやつですね。トイレットペーパーの芯替えない問題はトイレットペーパーの芯への意識が高い人に届かないと響かないわけです。

 

弱者を救済するのが法律だとしたらカバーし切れてないですね六法全書。トイレットペーパーの芯に関する法律がひとつもないんだもの。

ということでパンピーのパンピーによるパンピーのための法律を六法全書に付け足す活動をしています。

「なんで自分だけ…」

「理不尽なんですけど…」

「誰か助けてください」

という思いをした人はパンピー六法全書で法律を作ってますので書いてみてください↓
パンピー六法全書

 

パンピー六法全書はパンピーの声がダイレクトに反映されます。